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東京地方裁判所 平成3年(合わ)52号 判決 1991年8月08日

主文

被告人を懲役四年六月に処する。

未決勾留日数のうち六〇日をこの刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、L、Dらと共謀の上、法定の除外事由がないのに、平成三年三月一一日ころ、東京都新宿区<番地略>所在の新宿○○ホテル二二〇三号室において、Kに対し、麻薬である塩酸コカインを含有する白色粉末約五〇〇グラムを代金三〇〇万円で譲り渡したものである。

(証拠の標目)  <省略>

(事実認定の補足的説明)

一  事実認定上の問題点

本件公訴事実は、被告人は営利の目的で麻薬である塩酸コカインを含有する白色粉末約五〇〇グラムを譲渡したというものであるが、当裁判所は、前記のとおり、被告人には営利の目的があったとはいえないと認定した。そこで、このような事実認定をするに至った理由を補足して説明する。

二  本件犯行に至る経緯等

関係各証拠によると、以下の事実が認められる。

1  被告人は、平成三年二月二三日ころ、新宿区歌舞伎町界隈で売春の客として知り合ったコロンビア国籍のLに好意を抱き、毎日のように、同女の住む新宿区<番地略>所在の旅荘「宵月」を訪れるようになり、また弟だというDとも知り合いになった。

2  二月二七日ころ、被告人はLから、「弟のDがコロンビアから日本に来る時、一キロのコカインを持ち込んだ。そのコカインを密売して代金をコロンビアに送金しないと、私の家族がマフィアに殺される。そのコカインは『宵月』の部屋に置いてある。弟は日本に来るためのチケットやお金をマフィアから出してもらっている。早く売らないと大変なことになる。」などと涙ながらに告げられた。被告人は内心、彼女のために何とかしてやりたいと思ったものの、このときは確かな売却先も思い当たらず、コカインの密売を手伝う話はしなかった。

その後もLが非常に困った様子であったため、被告人は同女がかわいそうになり、何とかしてやりたいとの気持ちから、三月四日ころ、Lに「コカインの件を知人に当たってみるから、サンプルを用意してくれ。」と話し、翌五日ころ、Dからサンプルとして少量のコカインを受け取った。しかし、この時点でも、具体的な売却先の見当がついていた訳ではなかった。

3  こうして被告人は実際にコカインのサンプルを預かったことから、何としてでもコカインを売却してやろうという気持ちになり、三月六日ころ、被告人の勤務先の顧客で面識のあった暴力団××会小金井一家一二社四代目△△興業の構成員Iに電話をかけ、同人が不在で代わりに電話に出た男に対し、コカインを売却したい旨話を持ちかけておいた。その後、その男から前記「宵月」のLの部屋にいた被告人に電話があり、サンプルとしてコカイン一〇グラムを購入する旨の連絡を受けた。そこで被告人は、その旨Lに伝え、Dが小分けしたサンプル約一〇グラムを持って、L、Dと共に、被告人の自動車で相手の男の指定する場所に赴いた。

そして、指定された場所に自動車を停車させ待っていたところ、前記△△興業の構成員Kが声をかけてきた。被告人は、同人の指示するとおり、L、Dを車内に待たせておき、Kと二人で、新宿区<番地略>所在のコーヒーハウス「マックス」に入り、同店内で、Kに、持参したコカイン約一〇グラムと以前にDから預かっていた少量のサンプルとを、予めLから聞いてあった売値一グラム当たり六〇〇〇円で売却することにし、代金として六万円を受け取った。その際、Kは被告人に対し、次は一五〇グラムを買いたいと言って、Kの連絡先を教えた。

被告人は、車内に戻り、待っていたLにこのコカインの売却代金のうち五万円をLに渡し、残りの一万円はその翌日、Lに渡した。

4  三月七日ころ、Kから前記「宵月」のLの部屋にいた被告人に電話でコカイン一五〇グラムを用意して持参するように連絡があり、被告人はこのことをLに伝え、コカイン約一五〇グラムを持って、L、DとともにKの指定する場所に赴いた。被告人は、Kの指示により、L、Dを車内に残し、Kと二人で新宿区<番地略>三英閣ビル地下一階ゲーム喫茶「Be―1」に入った。

被告人は、このゲーム喫茶「Be―1」店内において、Kから、今回は一五〇グラムを五〇万円で売って欲しいと頼まれたが、被告人としては、Lから予めグラム六〇〇〇円で売却するように言われていたことから、被告人のみの判断で値引きすることはできないと考え、その旨Kに伝え、被告人の自動車内にいたL、Dを同店内に呼び入れ、KとLとで直接に値段の交渉をさせ、次回はかならず一グラム六〇〇〇円で買うとの条件で約一五〇グラムのコカインを五五万円で売却した。

5  その後、Kが、三月一一日ころには、七五〇グラムをグラム六〇〇〇円で取引したい、二五〇グラムずつ、三つの包みに分けて用意して欲しいと注文してきたので、被告人はLにその旨伝えた。

その後、Lから三月一一日の取引は間違いないのかと聞かれ、被告人からKに電話をかけて確認したところ、同人は、五〇〇グラムは間違いなく買う、あとの二五〇グラムも用意して持ってきてくれと言っていた。

三月一一日、被告人は、Kから前記「マックス」で待ち合わせてホテルで取引したい旨の電話を受けて、前記「宵月」のLの部屋を訪れ、LにKからの電話の内容を伝えるとともに、コカイン三包み合計約七五〇グラムを持って、L、Dと共に指定された「マックス」に赴いた。

被告人は、Kの指示するとおり、L、Dには、前記「Be―1」でゲームをさせておき、Kと二人で取引をするため、Kがチェック・インを済ませていた新宿区<番地略>所在新宿○○ホテル二二〇三号室に赴いた。同室において、Kは、被告人が持参していた三つの包みからコカインを取り出し、Kが自分で用意してきたデジタル式秤で五〇〇グラムを計量し、前回の取引分に不足があったとして、その不足分約一五グラムを加えた上、これを約束どおり、グラム六〇〇〇円で購入することとし、五〇〇グラム分の代金三〇〇万円を被告人に支払った。

その後、被告人は、L、Dと共に、前記「宵月」のLの部屋に帰り、同室で残ったコカイン約二〇〇グラム(後に、同室から押収されたもの)と売却代金三〇〇万円をLに渡した。

6  翌一二日、被告人は、Lらとともに新宿西口の東京銀行新宿支店に行き、Lの依頼で被告人名義で三〇〇万円をコロンビアに送金し、Lも自己名義で四五万円を送金した。

三  「営利の目的」の有無の判断

「営利の目的」とは、犯人が自ら財産上の利益を得、又は第三者に得させることを動機・目的とする場合をいうと解される(最高裁第一小法廷昭和五七年六月二八日決定・刑集三六巻五号六八一頁参照)。そこで、被告人にこのような「営利の目的」があったかどうかについて、以下検討する。

1  自利目的(自ら利益を得る目的)の有無について

被告人は、捜査段階から一貫して、本件のコカイン取引によって自ら利益を得ようとしたことはなく、実際にも、何ら利益を得ていないと供述している。当公判廷で取り調べた関係各証拠を精査しても、被告人に自利目的があったことを認めるに足りる証拠はない。

もっとも、Lの証言中には、(1)Kとの一回目のコカインの取引の際、本来、代金は六万円であるのに四万円しかもらっておらず、残りの二万円は被告人が利得している、(2)本件取引の前に、被告人とLとの間で、コカインの取引による利益で被告人とLが一緒に住むアパートを賃借することになっていた、という部分がある。しかし(1)については、被告人の捜査段階からの一貫した供述及びDの捜査段階における供述と食い違っていること、(2)については、そのような話をした時期も、そもそもコカインの取引で得た利益によってアパートを賃借しようとの具体的な話であったかどうかという点についても、Lの証言は極めて曖昧であることからして、いずれも信用することができない。

また、Kの供述調書中には、一回目のコカインの取引の際被告人に渡した代金は一二万円か一五万円であるとの部分がある。しかし、K自身、被告人との取引を開始する際に、一グラム当たり六〇〇〇円であると聞いたことは認めているのであり、被告人の供述、Lの証言及びDの供述調書等の関係証拠に照らし、Kの供述をそのまま信用することもできない。

2 他利目的(他人に利益を得させる目的)の有無について

「営利の目的」には、自利目的だけでなく、他利目的も含まれる。しかし、他利目的をもって「営利の目的」があるというには、単に他人が利益を得ることを目的としていることを認識しているだけでは足りず、他人に利益を得させることが積極的な動因(動機・目的)となっている場合でなければならないと解すべきである。

本件においては、(1)被告人は、Dが日本に持ち込んだコカインは一キログラムという多量のものであること、本件のコカイン取引に絡んで、Dはマフィア(密売組織)に来日費用を出してもらっていることなどをLから聞いており、被告人としても、そのコカインがコロンビアのマフィアに絡むものであること、コカインの取引に絡んで、Dらが何らかの利益を得ていることの認識はあったこと、(2)被告人の取扱ったコカインは、三回にわたり、合計約六六〇グラムと多量で、その売却代金も合計三六一万円と多額であること、(3)被告人は、Kとの二回目の一五〇グラムのコカインの取引に当たって、KとLとが直接交渉し、結局、Lが予め被告人に言っていた金額より、かなり安価な五五万円で売買することで合意した場に居合わせて、Lがマフィアから脅されて、マフィアにいわれるままに、これを行っているのではなく、売買代金等についてある程度の決定権を持っていることを認識していたものと推認できることなどの事実に照らし、起訴された三回目の取引までの時点で、被告人には、L自身が「営利の目的」を有することの未必的な認識があったと認められるところである。

しかし、被告人は好意を抱いていたLから、弟のDが持ち込んだコカインを全部密売してその代金全額をコロンビアに送金しないとマフィアに家族が殺されると打ち明けられて、何とかしてその窮状を救ってやりたいとの気持ちから本件犯行に及んだものであり、被告人としては、L、Dに渡したコカイン売買代金は、その全額をコロンビアに送金するものと考えていたというのであって、被告人が、Lの「営利の目的」について一定の認識をもっていたからといって、それ以上に被告人がLに財産上の利益を得させることを積極的な動因(目的・動機)として本件コカインの取引を行ったと認めるべき証拠はないのである。

もっとも、この点に関し、Lは、(1)当初一グラム五〇〇〇円で売却するつもりであり、被告人にそのように話したところ、被告人が、それでは安いというので、一グラム六〇〇〇円にすることに決定した、(2)被告人に、コカインを売った代金のうち本国に送金しなければならないのは四〇〇万円だけで残りは同女の利益になると話したと証言している。しかし、(1)については、薬物の取引については全くの素人と認められる被告人が、コカインの値段の高低を判断できるほどの知識を有していたかは疑問で、Lの供述を直ちに信用するのは早計と言うべきである。また、(2)については、Lが被告人に送金しなければならないといった金額、Lがこれまでに送金した金額等に曖昧な部分があり、Lの片言の日本語で、その意とするところが、被告人に伝えられていたか疑問である。したがって、被告人の捜査段階からの一貫した供述と対比し、被告人の供述を排して、Lのこの点の供述の方を信用するということもできない。

また、被告人の検察官に対する平成三年四月一一日付け供述調書には、Lの利益のために本件犯行に及んだ旨の記載があるが、この点について、被告人は、公判廷で、金銭的な利益を得させるためというのではなく、彼女を助けるためにしたという趣旨である旨説明しているのであって、この供述調書の記載だけで被告人に他利目的があったと認定することもできない。

3 以上のとおりであるから、被告人が「営利の目的」を有していたものと認めることはできない。

(法令の適用)

被告人の行為は刑法六〇条、麻薬及び向精神薬取締法六六条一項、二四条一項に該当するので、所定刑期の範囲内で被告人を懲役四年六月に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数のうち六〇日をこの刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

被告人は、売春の客として知り合い、懇意になったコロンビア国籍の女性Lから、コカインを売却して代金をコロンビアに送金しなければ家族がマフィアに殺されるなどと打ち明けられ、同女の身の上に同情するとともに、その歓心を買うため、心当たりの暴力団員の組事務所に連絡を取ってコカインの購入方を依頼し、実際の取引に当たっても、単なる仲介者という立場にとどまらず、自らコカインの受渡しと代金の受領に当たるなど、本件のコカイン密売に積極的に関与したものである。また、Lらは、コカインの日本国内での売却先が見つからず苦慮していたのであって、被告人の行為がなければ、約六六〇グラムもの多量のコカインを販売することは容易ではなかったことをも考慮すると、本件犯行において被告人が果たした役割は、まことに重要なものであったというべきである。

さらに、被告人の三回にわたるコカインの取扱量は、合計約六六〇グラムと多量であり、本件起訴にかかる分だけをとっても約五〇〇グラムと極めて多量であり、このように多量のコカインを暴力団員のKに売却すると、暴力団関係者等を通じ広く社会に害悪が拡散することになることを知りながら、本件犯行に及んだものであること、現実に、Kに売却されたコカインの大部分は、既にKから更に暴力団関係者に転売されてしまっていることなどの事情を併せ考慮すれば、その犯情は悪質であり、被告人の刑事責任は重大であるというほかない。

しかし、他方、被告人は、犯行後、事情を察知した会社の上司らの説得を受けて、警察官に対し、自ら進んで本件犯行の全容について供述していること、本件について深く悔悟するとともに、反省の情を示していること、被告人には、これまで業務上過失傷害罪による罰金前科二犯があるのみであること、これまで自動車整備士として真面目に勤務しており、被告人が勤務する会社の上司の信頼も厚く、会社の上司らが今後も被告人を雇用していく旨約束していることなど被告人に有利な事情も認められる。

そこで、以上の諸点を総合考慮し、被告人には主文の刑が相当であると判断した。

(裁判長裁判官池田眞一 裁判官村田渉 裁判官藤田みゆき)

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